1949年ロン=ティボー国際コンクール優勝。フルトヴェングラー、 クライバー、チェリビダッケ、シュワルツコップ等20世紀の名匠と共演を重ねた伝説的ピアニスト、チッコリーニ。80年もの時をピアノとともに⽣きた名匠が、心をこめて贈るプログラム。
ひとつの音、あるいはひと連なりの響きに、人生のすべてが投映される。それも、輝かしく、息をひそめて、聴くひとの心につき刺さるように―。そうそうあることではないが、アルド・チッコリーニのピアノでは、こうしたことがいつだって起こり得る。
音楽家はときに魔法使いにもなるが、チッコリーニの音楽の光は、ひたむきに謙虚な祈りのうちからやってくる。それは長い長い歳月をかけて、硬い芯のように、繊細な内面に灯されてきた結晶のようなものだ。その光の反射が、鍛えぬかれた技術を通じて、音として空間に放たれる。ときに永遠を謳うように響くが、しかしそこが私たちのともに生きる時間のなかであることもまた確かである。
ここ10年間に重ねられてきた来日公演を通じて、ひとりの才能ある優秀なピアニストがそのままかたちのよい演奏表現をまっとうした、ということでは到底すまされない稀代の音楽家の奥行きを私たちは知ることになった。技術は高齢であるにも関わらず高く保たれ、そこにピアニストとしての誇りや矜持のようなものも感じられる。しかし、それにも増して近年のチッコリーニは一回一回の真剣な演奏を通じ、それらをはるかに超えて、生きることの自由を、凄味をもって歌っている。それも意図してではなく、ひたすら純粋に向き合った結果が、あるいは彼の意志を超えたところで、自然にそう顕われてくるといった佇まいで。永遠の名で語られるべきなにかが、ひとりの人間の全身全霊の営みと長年の献身を称えるかのように、チッコリーニの心をいまこの瞬間に導き、そして光り輝かせるのだろう。思い出も経験も、深い諦観も、未来への希望も、すべてが現在の響きのなかに時を忘れて微笑むようにして。
チッコリーニのピアノは、若き日から名声を博したフランス近代のレパートリーはもちろん、ドイツ音楽の核心にも正当な格調をもたらし、ロシアや北欧の作品も含めて幅広く旅してきた。88歳での訪日となる初夏のプログラムはまず、ブラームスのバラード、グリーグのソナタといういずれも作曲家20代前半の青年の情熱を抱いてみせる。そして、1950年代のレコーディングもあるボロディンの小組曲、やはり録音も手がけたカステルヌオーヴォ=テデスコの「ナポリのラプソディー」という、まさにチッコリーニでなければ聴けない独自の選曲構成だ。フィレンツェに生まれ、ファシズムに抗した偉才の作はサンタ・ルチアの祭りをタイトルに、作曲年の1924年が銘打たれているが、それはチッコリーニの生誕の前年でもある。
敢えて挑むように大曲にも積極的に取り組んできた近年のチッコリーニだが、こうした多く小曲が連なる選曲では、さらに余裕をもって精細な詩性を煌めかせるに違いない。いずれも磨き抜かれて美しい、多彩な情熱を映す宝石のような作品ばかりだ。
88というのはピアノの鍵盤の数とおなじで、横からみれば永遠が上下に並んでいる。ひとりの人間の生き抜いてきた歳月を数でいうのはどことなく軽率だが、それでも永遠がふたつならば、88歳を超えてなおも輝きを放つピアニスト、アルド・チッコリーニにはまったくふさわしいものに思えてくる。
青澤隆明(音楽評論)
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